
マレーシアへの教育移住を検討するご家庭にとって、インターナショナルスクールで英語を使って学べることは、大きな魅力の一つです。しかし、実際に通い始めると、多くのご家庭が一つの悩みに直面します。
「英語で学校の勉強についていくだけでも大変なのに、日本語まで勉強させる必要があるのでしょうか?」
「将来のために日本語も大切だとは思いますが、子どもには時間がありません」
一方で、日本に住む方々からは、「日本人なのだから、日本語くらいきちんと使えるようにするべきではないか」という意見を聞くこともあります。
どちらの考えにも、理解できる部分があります。英語も日本語も大切です。しかし、子どもが使える時間は限られています。大切なのは、二つの言語を完璧に身につけることではなく、それぞれの言語が子どもの将来にどのような価値をもたらすのかを理解し、優先順位を決めることではないでしょうか。
弊社は言語学の専門家ではありません。しかし、移住支援の現場で数多くのご家庭の悩みに立ち会い、また代表である私自身も、マレーシアでの子育てを通じてこの問題に深く向き合ってきました。
本記事は、学術的な正解を提示するものではありません。これまでのサポート現場での知見と、一人の親としての実体験を踏まえ、言語を単なるコミュニケーション手段ではなく「知的資産」として捉えながら、英語と日本語をどう位置づけるべきか、私なりの考えを整理してみました。
世界には数千もの言語があります。しかし、すべての言語で高度な数学、物理学、医学、工学、哲学、経済学などを十分に学べるわけではありません。
例えば、ある国の大学図書館を想像してみてください。医学、工学、数学、歴史、法律などの専門書が、自国語で幅広く揃っているでしょうか。大学の授業を自国語で受け、博士課程まで進み、世界的な研究者を目指せるような教育体系が整っているでしょうか。
もちろん、ノーベル賞を受賞するために、特定の言語で学ばなければならないわけではありません。しかし、母語で高度な専門知識を学べる社会をつくるには、膨大な時間と投資が必要です。大学、出版社、研究機関、専門家、そして長年の翻訳や教育活動の蓄積が不可欠だからです。
現在、英語は世界の学術研究で中心的に使われていますが、日本語、中国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語、スペイン語なども、高度な学問を学べる知識体系を育ててきました。日本語は、そのような言語の一つです。
かつて「人口が1億人以上あれば、自国語で高度な知識や文化を経済的に維持できる」という考え方を耳にしたことがあります。1億人という数字に、厳密な科学的根拠が確認されているわけではありません。
しかし、人口規模が大きければ、その言語による出版、教育、専門サービスなどの市場が成立しやすくなるという考え方には、経済的な合理性があります。例えば、海外の高度な専門書を翻訳するには費用がかかります。その書籍を必要とする読者が十分に存在すれば、翻訳・出版の採算を確保しやすくなります。
反対に、読者が非常に限られている場合には、英語の原書で学ぶ方が現実的になることもあります。もちろん、人口1億人未満のドイツやフランスにも成熟した学術体系があります。人口だけではなく、経済力、歴史、教育・研究への投資も重要です。
それでも、この考え方から一つのことが分かります。高度な学問を自国語で学べる環境は、決して当たり前ではないということです。
日本では明治時代以降、海外の科学技術や学問を積極的に取り入れ、日本語へ翻訳してきました。その過程で、海外の概念を日本語で理解するための専門用語や教科書が整備されました。
現在では、日本語を使って小学校から大学まで幅広い学問を学ぶことができます。日本語を中心とした教育を受けて、世界的な科学者や技術者になることも可能です。
もちろん、最先端の研究では英語の論文を読んだり、海外の研究者と交流したりする必要があります。それでも、日本語で高度な学問の基礎を学べるという事実は、日本社会が長年かけて築いてきた大きな財産です。
日本語が分かるということは、単に日本人と会話できるということではありません。日本の歴史や文化、科学技術、法律、経済など、さまざまな知識に直接アクセスできるということです。
その意味で、海外で暮らす日本人の子どもにとって、日本語を維持することには大きな価値があります。
ただし、日本語の価値が高いことと、すべての日本人の子どもが日本の学校と同じ水準の国語力を身につけなければならないことは、同じではありません。

マレーシアのインターナショナルスクールで学ぶ大きな意義は、英語を外国語として学ぶのではなく、英語を使ってさまざまな教科を学べることです。
英語で数学を理解する。英語で物理学や化学を学ぶ。英語で歴史について議論する。英語で自分の考えを論理的に文章にまとめる。
こうした経験を積み重ねることで、英語は単なるコミュニケーション手段ではなく、知識を獲得し、考えるための言語になっていきます。これは、将来、海外の大学や研究機関で学ぶうえでも大きな強みになります。
特に現在の科学技術分野では、英語で書かれた論文や専門資料に直接アクセスできることには、大きな価値があります。そして、その能力を身につけるには相当な時間が必要です。
英語で日常会話ができるようになることと、英語で高度な学問を学べるようになることは、別の段階です。IGCSEやA-Levelなどの課程では、英語で専門知識を正確に理解し、試験で論理的に説明する能力が求められます。
だからこそ、マレーシアのインターナショナルスクールを選んだのであれば、私個人としてはまずは英語で高度な学びができるようになることを大切にしたいと思います。
ここで保護者が悩むのが、日本語教育との両立です。英語で勉強するだけでも大変なのに、日本の国語の教科書を使って漢字を覚え、読解問題を解き、作文まで練習する。これでは、事実上、二つの学校の勉強を同時に進めるような負担になることもあります。
もちろん、日本に帰国する予定があるご家庭や、日本語で日本の大学を受験する予定があるご家庭には、それに応じた日本語学習が必要です。
しかし、海外の大学への進学を中心に考えている場合には、日本の同学年の子どもと同じ水準の国語力を常に維持する必要があるのでしょうか。私は、必ずしもそうではないと思います。
例えば、英語で物理学を学び、海外の大学で研究することを目標にしている子どもにとっては、英語で専門書を理解し、研究者と議論できる能力が重要です。一方、日本語では、日本のニュースや社会問題を理解し、自分の考えを説明できる能力を維持することが、一つの現実的な目標になるでしょう。
英語と日本語を同じ水準まで伸ばすのではなく、それぞれの言語で何ができるようになればよいのかを考える。この視点が大切だと思います。

「日本人なのに、日本語をきちんと使えないのはおかしい」
このように感じる方もいらっしゃるでしょう。日本語は、日本の歴史や文化を支えてきた大切な言語です。日本で生活したり、日本の社会に参加したりするうえでも、日本語の能力は重要です。
そのため、日本人の子どもには日本語を身につけてほしい、という気持ちは自然なものだと思います。しかし、日本語の能力だけで、その子どもが持つ価値を判断するのは、少し違うのではないでしょうか。
例えば、日本人の子どもがマレーシアのインターナショナルスクールで学び、その後、海外の大学で宇宙工学を専攻したとします。
【英語で高度な数学や物理学を学び、世界中の研究者と協力し新しい技術の開発に携わるようになったが、長年海外で教育を受けてきたため、日本語の漢字を書くことは苦手で、専門的な内容を日本語で説明することも簡単ではない】という状況だった場合、このような人材を「日本語が十分にできない」という理由だけで評価しないのは、あまりにももったいないことだと思います。
日本の研究機関や企業が、その人の専門性や国際的なネットワークを必要とするかもしれません。海外で得た知識や経験を、日本の新しい技術開発に役立てられるかもしれません。日本企業の海外展開を支えたり、日本と世界の研究者をつないだりする役割を担うことも考えられます。
その人の価値は、日本語の漢字をどれだけ正確に書けるかだけでは測れません。もちろん、日本語ができれば、日本の企業や研究機関と協力できる可能性はさらに広がるでしょう。だからこそ、日本語を維持することにも意味があります。
ただ、それは「日本人だから日本語が完璧でなければならない」という話ではありません。海外で身につけた能力を、日本や世界のために生かせる人材を育てる。そのために、日本語というつながりも残しておく。
また、日本人であることや、日本社会とのつながりは、日本語能力だけで決まるものではありません。日本の家族との関係、文化への理解、本人の経験や思いなど、さまざまな要素によって形づくられていくものだと思います。
では、学校で英語を使って学びながら、どのように日本語を維持すればよいのでしょうか。私は、家庭での日本語を、もう一つの学校のようにしないことが重要だと考えます。
例えば、子どもが学校でブラックホールについて学んできたとします。家庭では、こんな会話をしてみてはいかがでしょうか。
「ブラックホールって、どういうものなの?」
「どうして光も出てこられないの?」
「将来、人間がブラックホールについてもっと詳しく調べることはできるのかな?」
学校で英語を使って学んだことを、家庭では日本語で説明してもらうのです。日本語で改めて物理学を勉強する必要はありません。すでに学んだ内容を、別の言語でも説明する機会をつくるだけです。
専門用語が日本語で分からなければ、英語を使っても構いません。必要に応じて、親子で日本語の言葉を調べてみてもよいでしょう。
大切なのは、正しい日本語を使わせることだけではなく、日本語で考え、自分の考えを表現する機会を残すことです。同じように、学校で起きたこと、友達との関係、ニュース、社会問題、旅行で経験したことなども、日本語で話し合う材料になります。
そして、余裕があるときには、日本語の本や記事を読む機会をつくる。会話だけでは、複雑な文章を読む力は十分に育ちません。だからこそ、少しずつでも日本語の文章に触れることには価値があります。
学ぶ内容を二倍にするのではなく、一つの学びを二つの言語で活用する。これが、海外で学ぶ日本人家庭にとって、現実的な方法の一つだと思います。
日本語学習の時間について、すべての家庭に共通する正解はありません。子どもの年齢、現在の日本語力、家庭で使っている言語、将来の進路によって必要な学習は異なります。
例えば、家庭で日常的に日本語を使っている中学生や高校生であれば、週に数回、意識的に日本語で話し合う時間をつくり、週末に日本語の記事や本を読むことから始めてもよいでしょう。一つの例としては、次のような方法が考えられます。
| 内容 | 時間の目安 |
|---|---|
| 学校で学んだことを日本語で話す | 週3回、各10分 |
| 興味のある日本語の記事や本を読む | 週1回、20分 |
| 読んだ内容について親子で話す | 週1回、10分 |
| 合計 | 週60分程度 |
これは、あくまでも日本語に意識的に触れる時間の一例です。週60分で十分な日本語力が維持できるという意味ではありません。
家庭で日本語を使う機会が多い子どもと、普段から英語を中心に生活している子どもでは、状況が異なります。特に、日本語の読み書きの基礎がまだ十分に身についていない場合には、別の支援が必要になることもあります。
それでも、大切なのは、最初から高すぎる目標を設定しないことです。IGCSEやA-Levelなどの重要な試験を控えている時期には、学校の学習を優先しても構いません。子どもの状況に合わせて、日本語への時間の使い方を調整していくことが大切です。
日本語学習について考える際、特に重要なのが将来の進路です。例えば、次のように整理できます。

| 将来の進路 | 日本語学習で重視したいこと |
|---|---|
| 日本の学校へ帰国する | 学年に応じた読み書き、国語、教科学習 |
| 日本語で日本の大学を受験する | 高度な読解力、論述力、入試対応 |
| 海外大学へ進学する | 家族との会話、日本社会の理解、読書習慣 |
| 日本の英語学位プログラムへ進学する | 日常生活と社会参加のための日本語 |
| 海外で就職・研究する | 日本とのつながりを維持できる日本語 |
これらは固定的な区分ではありません。日本企業での就職を希望する場合など、進路によってはさらに高度な日本語力が必要になるでしょう。しかし、すべての子どもが日本の学校と海外の学校の両方のカリキュラムを完璧にこなす必要はありません。
それぞれの家庭が、将来どのような選択肢を残しておきたいのかを考え、その目的に合わせて日本語教育の目標を設定すればよいのです。
また、子どもの進路は成長とともに変わることもあります。そのため、日本語学習を完全にやめてしまうのではなく、必要になったときに学びを深められる基盤を残しておくことには意味があります。
教育熱心な保護者ほど、子どもの将来のために多くの能力を身につけてほしいと願うものです。英語も日本語も。数学も科学も。スポーツも音楽も。もちろん、それぞれに価値があります。
しかし、子どもの時間とエネルギーには限りがあります。英語を使って高度な学問を学べるようになるためには、多くの努力が必要です。そのため、マレーシアへの教育移住を選んだのであれば、まずはその目的を十分に達成できるようにすることが大切ではないでしょうか。
そして、日本語については、何を維持し、何を今は求めないのかを考える。日本の大学を日本語で受験する予定がないのであれば、日本の同学年と同じレベルの漢字テストを受け続けることが、最優先とは限りません。
日本語で高度な専門教育を受ける予定がないのであれば、すべての専門用語を日本語で覚える必要もないかもしれません。それよりも、日本語で家族と深い話ができること、日本のニュースや社会について理解できること、日本語の本から新しい知識を得られることを大切にする。
そのような目標設定も、十分に価値のある選択です。子どもに何を学ばせるかだけでなく、何を求めないことにするか。この判断が、教育移住を成功させるためには重要だと思います。
これからの日本は、国内だけですべての研究やビジネスを完結させるのではなく、海外の人材、企業、研究機関との協力がますます重要になるでしょう。
そのとき、海外の教育環境で育ち、英語で高度な専門知識を身につけた日本人が、さまざまな形で日本と世界をつなぐ可能性があります。
海外の大学で研究した技術を、日本企業と共同で事業化する。日本の優れた技術を、世界の研究者や企業に紹介する。海外で築いた人脈や経験を、日本の社会課題の解決に役立てる。
そうした活動には、日本語の能力も役立ちます。ただし、日本語が完璧でなければ、日本に貢献できないというわけではありません。日本語でのコミュニケーションが十分でない場合でも、専門性や経験、国際的なネットワークによって大きな役割を果たせることはあります。
そして、日本語を理解し、日本社会への関心を持っていれば、その可能性はさらに広がります。日本語がどれだけ上手かだけで、その人の価値を測るのではなく、その人が何を学び、何を実現できるのかを見る。
海外で育った日本人の子どもたちに対して、私たち大人も、そのような視点を持つことが大切ではないでしょうか。
マレーシアのインターナショナルスクールで学ぶ日本人の子どもにとって、英語は大きな時間と努力をかけて獲得する、新しい知的資産です。
英語を使って数学や科学を学び、海外の大学や研究機関でさらに専門性を高め、世界中の人々と協力する。そのための基盤を身につけられることは、インターナショナルスクールで学ぶ大きな意義です。
一方、日本語は、日本人の子どもが家庭や社会の中で身につけてきた、大切な資産です。そこには、日本の歴史、文化、科学技術、経済など、膨大な知識の蓄積があります。
その価値を、海外で学ぶからといって手放す必要はありません。ただし、英語と日本語の両方を、常に同じ水準まで伸ばす必要もありません。
英語を重点的に学ぶ時期があってもよいでしょう。日本語は家庭での会話や読書を中心に維持する時期があってもよいでしょう。子どもが成長し、進路が明確になったときに、必要な能力をさらに伸ばしていけばよいのです。
そして、海外で教育を受けた子どもが、日本語の一部を苦手としていたとしても、それだけで、その子の価値が損なわれるわけではありません。日本語が完璧でなくても、世界で高度な専門性を身につけ、日本や世界のために活躍できる人材になる可能性は十分にあります。
そして、二つの言語を持つことの本当の価値は、単に二つの言語を話せることではありません。二つの言語を通じて、異なる知識や文化、社会にアクセスし、それらを結びつけられることです。
マレーシアへの教育移住は、その可能性を子どもに与える一つの選択肢です。
私たちが目指すべきなのは、英語も日本語も完璧な子どもを育てることではなく、世界で学び、考え、自分の道を切り開き、必要であれば日本と世界をつなぐことのできる人材を育てることではないでしょうか。